新湯檜曽駅と旧湯檜曽駅(長文)
2006.04.22 Saturday - 1:17
上越線を水上駅から北に進んだところにある「湯檜曽」(ゆびそ)駅は、1967年9月までは、2kmほど北の現在の赤沢バス停付近にあった。有名なループトンネルを抜け出たところである。道路からプラットフォームまで高低差が60mもあったそうで、利用客からはきわめて不評を買っていた。クルマが普及する前の話で、湯檜曽温泉街の住民や湯治客が利用していたようだ。 1963年、まだ上越線の水上以北が単線の時代に、現在の湯檜曽駅の場所に上下線の通過をさばく「新湯檜曽信号場」ができる。なお、スキーシーズン(12月から3月まで)はこの新湯檜曽信号場で旅客の乗降を行っていたとの情報がある。 1967年9月に新清水トンネルが開通し湯檜曽~土樽(つちたる)間が複線化されたため、単線の(旧)湯檜曽駅は廃止され、新湯檜曽信号場が新たに湯檜曽駅になった。 といったようなことは、Wikipedia、Web Site 上越線、清水、新清水?大清水!、今はなき信号場一覧・東北線2などのサイトに説明が載っている。 これらウェブ情報の裏を取ろうとJR東日本の高崎支所に問い合わせたことがあるが、信号場で旅客の乗降をすることは考えられない等の回答があり、また東京駅八重洲口にある「旅の図書館」で調べたが、収蔵されている時刻表はいずれも復刻版で肝心の1963年12月から1966年3月の範囲が存在せず、実際に新湯檜曽信号場が旅客用として供用されていたか確証が取れなかった。 日本国有鉄道高崎鉄道管理局が1987年に編纂した「轣轆(れきろく)114」も読んだが、高崎機関区は水上駅までが管轄範囲のため、その北にある湯檜曽駅については記載されていない。 調べたかぎりでは、JTBパブリッシングが出している「停車場変遷大事典 国鉄・JR編」(1998年)に、「新湯檜曽信号場」の記述がわずかにあった程度である。 googleで検索をかけたところで現時点で「新湯檜曽」が38件、「旧湯檜曽」は36件しかヒットせず、それもほとんどが同一ソースからのコピーのように思われ、要するに情報が著しく不足しているのである。 そんな湯檜曽駅の新旧の写真を取材を通じてしばらく前に手に入れた。許可を得ていないのだが、貴重な資料を自分のPCに隠しておくのももったいないため、あえて縮尺を抑えて掲載しておく。上越線の研究家諸氏がいずれ検索でこの書き込みを見つけてくれて、研究の一助としていただければ幸いである。 反対側の山から旧湯檜曽駅を俯瞰した写真。下側が湯檜曽温泉街(現在はさびれている)、上を走るのが上越線。"DO" あたりから階段が伸びているのが分かる。
道路から坂を登ったところにあった旧湯檜曽駅の駅舎。入り口からさらに階段を上らないとプラットフォームにたどり着けない。階段は175段だったそうだ。
これは現在(昨年秋)の様子。保線用に階段とシェルター状の通路が残されている。付近には「熊注意」の看板があるため探検に行く場合は要注意。廃墟マニア・鉄道マニアの中には訪れる人も少なからずいるようだ(たとえばここ)。
旧湯檜曽駅の入り口付近。産婦人科の「長沢医院」(奥)と川魚料理の「見晴寿司」(手前)があった。現在は空家になって朽ちている。
おそらくは新湯檜曽信号場が(新)湯檜曽駅になった直後のプラットフォーム。駅舎は現在も当時のままである。奥にループトンネルから出てきたEF重連による貨物列車が写っている。
プラットフォームに立っている駅名表示を見ると「しんゆびそ」になっている。上り側は「みなかみ」、下り側は「ゆびそ」である。正式な記録としては見つけられなかったが、「新湯檜曽」という駅名がある時期実在していたことはこの写真から確認できる。ただし、駅名表示がいつ「湯檜曽」に変わったかは定かではない。
急行「佐渡」が停まっているところ。
なお、僕は「鉄」ではないので念のため。記事を書くときはこんな感じで傍証を固めていきます。 #本日2,700歩。編集作業で外出したものの、ずっと会議卓に貼り付きっぱなしだったので伸び悩み。 |
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