祖国とは国語

 沖縄への往路で「国家の品格」(藤原正彦)を再読した。前回は途中までしか読まなかったので、実際には初めての通読になる。

 一週間ほど前に、やはりベストセラーになっている「ウェブ進化論」(梅田望夫)を読んだ。グーグルがパワーバランスを「こちら側」から「あちら側」に移してしまった説明など、確かにそうだなぁ、と首肯するところも多いし、ロングテール現象やブログの話も整理してくれていて分かりやすい。(転職歴1回、独立歴1回の僕は、最後の「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」(=梅田望夫にとっての「あちら側」から「こちら側」への移動)を面白く読んだ)

 2冊の本はどちらもよく売れているそうだ。今日現在、アマゾンのランキングで「国家の品格」は6位、「ウェブ進化論」は16位である。しかし、売れているからといって両者の価値は同じではない。端的に書けば、通読後に後者をブックオフに持っていくことはあっても、前者は書棚に永く置いておくだろうと思うのである。あとで述べるように読後感も異なる。

 羽田への復路では、やはり藤原先生の「祖国とは国語」を読んだ。文庫は今年の1月発刊だから「国家の品格」(昨年11月)のあとだが、もともとは平成15年4月に出ていた本だそうで、「国家の品格」の土台ともなっている内容の本だ。

 教育・社会・政治など何もかもがうまく行かない時代になってしまった。落ち込みに歯止めをかけようと、ありとあらゆる領域で対策がなされてきたが、対処療法なので成果が上がっていない。我が国の直面する危機症状は、足が痛い手が痛いという局所的なものではなくて全身症状である。国家の体質は国民一人一人の体質であり、それは教育により形造られる。国家的危機の本質は誤った教育にある。教育を立て直すこと以外にこの国を立て直すことは無理である。即効薬も逆転満塁ホームランもない。私は小学校における国語こそが本質中の本質と考える。国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると思えるのである(要約は僕)

と前置きしたあと、現在の教科書やカリキュラムの問題点、小学校英語教育の陥穽、グローバリズムの行き着くところなどを歯切れ良く論じている。他の人がこのような国家観や教育論をどう感じるのか分からないが、僕は素直になるほどねと思う。中途のエッセイや最後の満州再訪記もすばらしい。

 著者は本を読むことの大切さに関連して、

 世はIT時代で、インターネットを過大評価する向きも多いが、インターネットで深い知識が得られることはあり得ない。インターネットは切れ切れの情報で、本でいえば題名や目次や索引を見せる程度のものである。教養とは無関係である。

と書いている。おそらく「ウェブ進化論」を読んで僕が感じた物足りなさは、グーグルの強さをいくら知ったとしても、最終的に自分の血となり肉となることはないと直感しているからではないか。(同書を読む価値なしと言いたいわけではないので誤解なきよう)

 「国家の品格」は200万部を突破したそうだ。成人人口で考えれば国民の数パーセントが読んだことになる。勝谷誠彦氏はブログで、「ただ目先の快楽に生きるだけの人が増えたことが格差社会の実相で、日本人の価値観の底が抜けてしまった」というような表現をしているが、果たして数パーセントもの人間によって徐々に日本は変わっていくものなのかどうか。当然変わっていくと信じたいのだが、相変わらず経済同友会などは国の主権よりも金儲けが大切だと公言して憚らない。情けないばかりか、大人が品や矜持を取り戻す難しさを感じてしまう。

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