明治の人はエライ

 木曜・金曜と取材で群馬県内をうろうろ。「鉄道文化むら」に寄ったついでに、「めがね橋」こと信越線の「第三橋梁」まで足を伸ばしてみた。

 群馬県の横川駅から長野県の軽井沢駅まで、66パーミル(6.6パーセント)の急勾配をアプト式(アブト式)の軌道を使って機関車が上下していた。そのときの橋のひとつで、昭和38年頃まで使われていたらしい。
 (その後新線が建設されたが、長野新幹線の開業の際に信越線の横川-軽井沢間は廃止された。乗客数から考えて維持コストがかかりすぎるのだろう。)

 で、このめがね橋。解説板によると赤レンガが200万個使われているそうだ。完成はナント1892年ですよ、100年以上前の明治25年。重機なんてないのにどうやって造ったんだろう。手で触ってみると分かるけど、しっかりしていてびくともしない(崩れてないんだから当たり前だけど)。

 明治の人が平成にタイムスリップすればとてつもなく驚くだろうけど、じゃあ現代の技術を以ってして、これと同じものを今造れるのだろうか。クレーン使っちゃダメ、資材運ぶトラックは小型トラックのみ、コンピュータで計算しちゃいけない、なんて制約があったら、いくらカネかけても造れないんじゃない?

 このめがね橋や途中にある丸山変電所跡は産業遺産(重要文化財)として保存されている。横川駅からめがね橋まで徒歩で行ける「アプトの道」という遊歩道ができているし、旧中仙道からもめがね橋の上まで上がれるようになっているので、先人の偉業を感じるためにも、行楽の折にはぜひどうぞ。

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