本が出ました
2006.12.08 Friday - 0:06
(ご覧になってないとは思いますけど) ところで、今回は新しい試みをしています。従来この手の写真集モノで古写真を集めるときは、クルマにノートパソコンとフラットベッドスキャナを積んで取材に出かけ、写真提供先でお店を広げてスキャン作業をしていました。この方法は、クオリティこそ安定するのですが、搬入やセッティングなどがなかなか大変。スキャンにも結構時間がかかります。 今回はスキャナを持ち歩かずに、デジカメだけを持ち歩いて現地で複写をしました。EOS-5Dが1200万画素ということで、スキャナで読み込むのと同じクオリティが出せるはず、との読みです。 ただし、写真の複写作業は実は簡単ではありません。対象を平面に保ち、カメラの光軸を垂直に合わせ、均一な照明をあてて、しかも無用な反射を防がなければならないからです。ヘタすると無理な姿勢で腰痛になります。 カールした写真、大きさが不揃いな写真、額に入ってガラスで反射しまくりの写真、ネガでしか残っていない写真など、取材先それぞれで異なる状況にその都度対応しつつ複写しました。(トータルで1000枚程度集めて、掲載はそこからセレクトして350枚ほど) 仕事場に戻ったらRAW現像して、ハイエスト、ローエスト、トーンを揃えて、目立つキズは修整し、ファイル名を付け、二重にバックアップして整理完了。 果たしてスキャナとデジカメとでどちらが楽だったか。トータルの作業量としてはおそらく大差ないように感じますが、デジカメのほうが現地での作業時間が圧倒的に短くて済むので、取材先にお邪魔する時間も短くなり、こちらも気が楽でした。 できあがった写真集を見てもクオリティに差は感じられません。よかったよかった。 さて、写真の話はいいとして、反省すべきはスケジュールのタイトさ。着手時が沖縄本の仕上げ時期と重なってしまった結果、なかなか頭が回らず手も回らず、各所にご迷惑をかける始末。反省しとります。 |
段取りチキン
2006.11.06 Monday - 22:08
木曜にハードな取材行をした余波で、金曜はダラーン、土曜もダラーン、日曜もダラーン。ま、能率低いながらも、請求書処理など、若干の仕事はしてましたがね。 月曜朝締め切りの案件を日曜夕方から始めたもんだから終わらない。また徹夜。ひーん。 朝風呂入って銀行行ってヨドバシ巡回して帰る途中で、忘れていた別の急ぎの仕事を思い出した。ひーん・パート2。米搗きバッタの如く、お詫びの電話10本ほど。 これから写真のキャプションを30本。ひーん・パート3 てなわけで段取りの悪さが露呈した週初め。 深夜まで元気だった猫様が、朝から丸まって寝たまま動かない。たまに起きて血便のような粗相。何かの病気かな。心配の種が増える。明日までに治ってくれるといいんだけれど。 |
日常の風景(その2)
2006.10.20 Friday - 1:57
今日は苦手なコピーライティングを丸一日やったので頭から湯気が出そう。つい先ほど一通り終わって、クライアントのチェック待ち(午前2時なのに!)。その間に翻訳の小物一本を終わらせる予定。(東大和の伊藤さんに働き過ぎって言われそう) 昨日の続きで日常写真。
うーん、センスがないからオサレーな写真は難しいわい。 |
本日走行400キロ
2006.10.14 Saturday - 2:59
取材に疲れ果てた帰り道のパーキングで熟睡に近い仮眠をしていたところを、関係先からの悩ましい電話で起こされ、どよーんとした頭のまま自動操縦状態で0時過ぎに自宅に到着。赤ブタ号もよく働いてくれます。 身体も頭もヘロヘロで夜なべができる状態じゃないので、録画しておいた「24シーズン4」の最後2話を夜中に観る。論理矛盾を屁とも思わない自分勝手な展開が魅力(笑)。お決まりの三流ラブストーリーも忘れずにバッチグー(笑)。 土曜と日曜でソリューションカタログのコピーライティングと半導体データシートの翻訳とその他もろもろ。また魔法の週末だぁ。 |
フリーライターの定年
2006.10.07 Saturday - 23:45
「フリーライター40歳定年説」という40代半ばに差し掛かった僕にとっては恐ろしいタイトルの論稿が、何とも似つかわしくない「情報処理装置等電波障害自主規制協議会」(いわゆるVCCI)のウェブに掲載されている。執筆は鈴木洋史さんというライターの人。 ちょっと長いけど引用させてもらう。 「鈴木君ね、フリーライターという職業を全うした人はいまだかつて一人もいないんだよ」 なかなか真理を突いた内容で、読み進むにつれて心が重苦しく(苦笑)なってくる。フリーライターを例にとっているけれど、フリーランス全般に当てはまる話だろう(カメラマンの定年はライターとは少し違う感じがするが)。 ただし、年齢と経験を重ねることによって、たとえば経営者のインタビューではより核心を引き出せるようになる点や、関連知識・周辺知識が豊かであるという点などに言及がないので、かなり偏った論旨という印象はある。ジジイライター/ジジイカメラマンに価値がないというわけではないと思う。 ライター仲間の人的ネットワークが希薄なので、他のライターがこういった点をどう考え、どう対処しているかは分からない。僕は何らかの形であと20年は働きたい(働かざるを得ない)と思っているけれど、さてどうするかなと、リンダときどき悩んじゃうこともある。 |
44444
2006.09.29 Friday - 23:46
木曜・金曜はまた高崎に泊まり取材でした。今回はハード。とくに金曜は移動の段取りがあまり良くなくて、9時から17時まで休憩するひまなし。ふ~ 帰り道、オドメーターがゾロ目に。33,333キロが昨年の11月9日なので、11か月弱で11,111キロ走ったことになります。ほとんどが仕事による移動。本作るためにCO2いっぱい撒き散らしてる。ごめんなさい。
しかし月末だっちゅーのに、どこもギャラ振り込んでこない。困るよ、ホントに。 |
空気風呂
2006.08.04 Friday - 23:54
真夏の取材は疲れますワ。しかも環八大渋滞で、第三京浜出口から関越入り口まで2時間以上。やってらんねー 8月3日 12:06 練馬 8月3日 12:08 練馬 8月3日 12:11 練馬 8月4日 13:57 高崎市 脳が死ぬね。 |
泊まり取材
2006.07.22 Saturday - 23:53
締め切りに「トム・苦しんでルーズ」の状態が5月ころからずっと続いていますが、こういうときに泊まり取材はちょっとした息抜きです。19時頃チェックインし、クルマで外に食べにいくと飲めないので弁当とビールを買ってきて、部屋でのんびりと夕食。晩酌もこんなときにしかできない。 一部のビジネスホテルは数百円を上乗せすると一人でもツインルームを利用できるので、たいていこのサービスを利用します。 夜なべ用の書類は一応持っていったのですが、早起きと疲れとビールが重なって、テレビを観ながら予想通り「落ちました」(笑)。そのあと目が冴えてしまったので、読みかけの三島由紀夫「潮騒」を読了。読書の時間も貴重。 今回は2日間で走行距離500km。ガソリンの値上がりが痛いこのごろ。本ができるまで10回くらいは出かけることになるでしょう。土地感が生まれる頃に終わるような感じ。 多少の息抜きとは言っても、行って帰って終わりじゃないのは当然で、あとで3GB近いデジカメ画像の整理をしないと。メモリカードがまた足りなくなるところだったので、次に備えて、さきほどヤフオクで4GBのCFを2枚ぽちっと。 |
怒涛の納品
2006.06.29 Thursday - 3:00
月曜夕方から水曜お昼にかけて、約10,000文字の原稿執筆と、ウェブ用写真20点ほどの画像を処理して、合間に某社でサイボウズが動かなくなったというトラブルの対応をしつつ、一気呵成に4本を納品。新記録かも? (でもまだ山場が越えられないノダ…)
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気ぜわしい毎日
2006.05.25 Thursday - 0:47
水曜午後はカンファレンスの撮影と取材。来賓挨拶が小坂文部科学大臣(今サイトにアクセスしたら「データベースへの接続に失敗しました Warning: mysql_query(): 」の嵐だけど、どうなってんの?)。大臣をナマで見たのは小池環境大臣以来2回目。あ、街頭演説で小泉総理大臣も見たことがあるな。 まぁしかし、撮影では場数不足からくる自分の不手際もあって、とても疲れた。予定していたよりも撮らねばならないカットがはるかに多くて、正直、見積りが安すぎたかも。専業カメラマンの皆さん、毎日ご苦労様でございます。 苦難のコピーライティングは木曜いっぱいで終わるはず。止む無くストップしていた沖縄本ほかの仕事を金曜から再開予定。仕掛かり中の仕事はまだ沢山あるので、今の感じだと6月いっぱいは休みなし。ドイツに行けない理由ができた(笑)。 少しばかり気ぜわしい毎日が続く。落ち着いた心持ちでブログを書きたいものだ。 |
5月の予定
2006.05.05 Friday - 1:44
連休は楽しんでおられますか? 無名ながらも「売れっ子」(笑)の僕は休みがとれません。単に仕事が遅いだけんですけどね。 さすがに雲ひとつない五月晴れの今日はじっとしていられず、翻訳作業に一段落ついたところでOM-1をぶら下げて散歩に出かけました。上大岡に住み始めて6年以上が経ちますが、まだ近所にも知らない道がたくさんあります。 前に書いた沖縄本ですが、先週末から昨日までに約130ページのラフをまとめあげたので、あと残り60ページほどになりました。ただ、ラフはあくまでラフなので実際はこれからが長いんですが、少し見通しが付いてきた感じ。 来週また沖縄に行って、再来週は別の取材で岡山に日帰りし、その合間にセキュリティソリューションの総合カタログを制作して、新たにコンサルティングを依頼された会社の広報戦略練って、米国産輸入解禁を見据えて某ビジネス書籍の編集と原稿執筆。 これらが5月の課題なんです。ハハハ、と力なく笑うしかない。逃避行動が増えそうです。 |
竹島問題と境港
2006.04.23 Sunday - 21:34
韓国の「火病」の末に結局は先延ばしで決着をつけた竹島周辺の測量問題。海上保安庁の測量調査船が基地としていたのが鳥取県の境港港(さかいみなと・こう:ややこしいけど)。昨年の今の時期に2か月ほど米子市に滞在していたこともあって、竹島関連のニュースで境港の映像が流れるごとに当時のことを思い出します。 通常、領土問題はニュースの中の世界でしかありませんが、こういう接点があると身近に感じられるもんですね。 後方に見えるのは島根県とを結ぶ境港大橋。境港全体の俯瞰写真を撮るために三脚を担ぎながら狭い歩道を歩いて中心付近まで行ったのですが、僕の身長だと手摺が腰上くらいにしか感じられないこともあって、あまりの怖さにおしっこをチビりそうになりました。高さ40メートルだそうです。 ついでに、市街で撮った写真はこちら。 滞在中は慣れない取材の連続で、「オレはこんなところで何やってんだろう」と悩むなど、鳥取県がトラウマになるほどにつらいことのほうが多かったのですが、1年経った今は、機会があればまた行きたいと思うほどに懐かしい記憶に変わっています。
追加:探したら「ガクブル写真」が出てきました。↓ 機材は一時期だけ瞬間的に使った EOS-20D。撮影はいずれも去年の今頃です。
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新湯檜曽駅と旧湯檜曽駅(長文)
2006.04.22 Saturday - 1:17
上越線を水上駅から北に進んだところにある「湯檜曽」(ゆびそ)駅は、1967年9月までは、2kmほど北の現在の赤沢バス停付近にあった。有名なループトンネルを抜け出たところである。道路からプラットフォームまで高低差が60mもあったそうで、利用客からはきわめて不評を買っていた。クルマが普及する前の話で、湯檜曽温泉街の住民や湯治客が利用していたようだ。 1963年、まだ上越線の水上以北が単線の時代に、現在の湯檜曽駅の場所に上下線の通過をさばく「新湯檜曽信号場」ができる。なお、スキーシーズン(12月から3月まで)はこの新湯檜曽信号場で旅客の乗降を行っていたとの情報がある。 1967年9月に新清水トンネルが開通し湯檜曽~土樽(つちたる)間が複線化されたため、単線の(旧)湯檜曽駅は廃止され、新湯檜曽信号場が新たに湯檜曽駅になった。 といったようなことは、Wikipedia、Web Site 上越線、清水、新清水?大清水!、今はなき信号場一覧・東北線2などのサイトに説明が載っている。 これらウェブ情報の裏を取ろうとJR東日本の高崎支所に問い合わせたことがあるが、信号場で旅客の乗降をすることは考えられない等の回答があり、また東京駅八重洲口にある「旅の図書館」で調べたが、収蔵されている時刻表はいずれも復刻版で肝心の1963年12月から1966年3月の範囲が存在せず、実際に新湯檜曽信号場が旅客用として供用されていたか確証が取れなかった。 日本国有鉄道高崎鉄道管理局が1987年に編纂した「轣轆(れきろく)114」も読んだが、高崎機関区は水上駅までが管轄範囲のため、その北にある湯檜曽駅については記載されていない。 調べたかぎりでは、JTBパブリッシングが出している「停車場変遷大事典 国鉄・JR編」(1998年)に、「新湯檜曽信号場」の記述がわずかにあった程度である。 googleで検索をかけたところで現時点で「新湯檜曽」が38件、「旧湯檜曽」は36件しかヒットせず、それもほとんどが同一ソースからのコピーのように思われ、要するに情報が著しく不足しているのである。 そんな湯檜曽駅の新旧の写真を取材を通じてしばらく前に手に入れた。許可を得ていないのだが、貴重な資料を自分のPCに隠しておくのももったいないため、あえて縮尺を抑えて掲載しておく。上越線の研究家諸氏がいずれ検索でこの書き込みを見つけてくれて、研究の一助としていただければ幸いである。 反対側の山から旧湯檜曽駅を俯瞰した写真。下側が湯檜曽温泉街(現在はさびれている)、上を走るのが上越線。"DO" あたりから階段が伸びているのが分かる。
道路から坂を登ったところにあった旧湯檜曽駅の駅舎。入り口からさらに階段を上らないとプラットフォームにたどり着けない。階段は175段だったそうだ。
これは現在(昨年秋)の様子。保線用に階段とシェルター状の通路が残されている。付近には「熊注意」の看板があるため探検に行く場合は要注意。廃墟マニア・鉄道マニアの中には訪れる人も少なからずいるようだ(たとえばここ)。
旧湯檜曽駅の入り口付近。産婦人科の「長沢医院」(奥)と川魚料理の「見晴寿司」(手前)があった。現在は空家になって朽ちている。
おそらくは新湯檜曽信号場が(新)湯檜曽駅になった直後のプラットフォーム。駅舎は現在も当時のままである。奥にループトンネルから出てきたEF重連による貨物列車が写っている。
プラットフォームに立っている駅名表示を見ると「しんゆびそ」になっている。上り側は「みなかみ」、下り側は「ゆびそ」である。正式な記録としては見つけられなかったが、「新湯檜曽」という駅名がある時期実在していたことはこの写真から確認できる。ただし、駅名表示がいつ「湯檜曽」に変わったかは定かではない。
急行「佐渡」が停まっているところ。
なお、僕は「鉄」ではないので念のため。記事を書くときはこんな感じで傍証を固めていきます。 #本日2,700歩。編集作業で外出したものの、ずっと会議卓に貼り付きっぱなしだったので伸び悩み。 |








































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