2007.06.10 日曜日 - 22:40
九段下でロケハンがあったので、終わったあとに靖國神社に参拝した。恥ずかしながら、と書くべきかどうか分からないが、大鳥居の前は何度も通っていたが参拝は初めてである。 台湾の李登輝前総統が参拝した次の日だったが、とくにマスコミの姿もなく、境内は平穏だった。しかし、財布の中に硬貨が25円しかなかったのには参った。やはり1,000円札を賽銭箱に寄進すべきだったか。
参拝のあと遊就館へ。1階の無料展示室では「戦跡パラオ展」をやっていた。沖縄戦は少しは勉強したが、パラオはその半年前(硫黄島よりも前)に米軍が上陸して、日本兵のほとんどが玉砕したという。知らなかった。 日本がパラオを統治していた時代に、ドイツなどの欧州が統治していた頃とは違って、学校を創るなど社会インフラを整えたこともあって、米軍に殺された日本人兵士の遺体をパラオ人が進んで埋葬したという。そして今でも、パラオには日本語を由来とする単語が500語以上残っているのだそうだ。パラオに行ってパラオの人たちにお礼を言いたくなった。 しかし、パラオは沖縄よりもはるかに南方である。どれだけの暑さの中で先人たちは戦ったのかと思うと胸が痛む。歳をとると涙もろくなっていかん。 そのあと、入館料を払って2Fの展示を一巡。まだ20歳にも満たないような青年が書いた遺書なんか見ちゃうと、もうダメですね。 今、ニューステで反日コメントを繰り返している加藤千洋が朝日新聞時代に靖國に関してあることないことを焚き付けたせいで、とてもデリケートな存在になってしまったけれど、右も左も真ん中も一度はきちんと参拝して、そして遊就館を観たほうがいいんじゃないかと思う。多くの人々の戦いの末に今の僕たちがある。 |
2007.04.28 土曜日 - 15:52
2年前の5月、山陰からの帰りに尼崎に立ち寄りました。事故から1か月近くも経っていましたが、ニュースでは伺いしれない現場の立地、雰囲気、匂い、音、人々の姿は強い記憶となって今に残っています。
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2007.03.27 火曜日 - 21:18
このくらいのことしかできませんので。 石川県:義援金の受け付け 石川県:ボランティアの受け付け 日本赤十字:義援金の受け付け |
2007.02.27 火曜日 - 23:39
経営再建中のカネボウが、商号をクラシエに変更するという。 カネボウがまだ鐘淵紡績だった戦前に、武藤山治氏が社長に就任して再建を担った。武藤氏はその後「時事新報」の社長になるが、当時学生だった父親が書生として奉公したようだ(あるいは鐘紡時代かもしれない。本人から思い出話を何度も聞かされたが、その頃は右から左で、今となっては記憶が曖昧である)。そんな縁があるもんだから、実家には10巻以上の「武藤山治全集」が読む人もなく書棚に収まっている。 歴史ある屋号が消えてゆく。責任は旧経営陣にある。武藤氏や父親は草葉の陰でどう感じているのだろう。 |
2007.01.28 日曜日 - 23:02
これは1950年(昭和25年)頃の名古屋市立栄小学校での授業風景です。小学校2年生がそろばんを練習しています。戦前もそうですが、戦後直後の子どもは、習字も含めてきちんと基礎的な勉強をさせられていました。
それがいつの間にか土曜が休みになり、ゆとり教育が始まって、公立中学校はレベルが低くてダメだからと小学校高学年になるとみんな塾通い。背広で教えていた先生がたもいつの間にかジャージを着用するようになって、威厳も何もあったもんじゃない。 ようやっと安部さんが「教育再生会議」を立ち上げましたが、雑音も相変わらず多いようで、ゆとり教育の見直しに反対する声も少なくないようです。内閣支持率が下がっているので、教育見直しに対する国民の支持もおぼつかなくなる可能性がありますが、大丈夫ですかね。 |
2007.01.03 水曜日 - 1:43
順不同。内容は各自でご判断を。 読売新聞 毎日新聞 朝日新聞 日本経済新聞 産経新聞 ついでに産経抄。「あけましておめでとうございます」やお節料理、お年玉などの本来の意味は知らない話だった。 |




